のびた系男子の日記

ADHD(グレー)のなのでその対策の備忘録として

前向きに生きましょう!という言葉が絶望の一言が代わる時

 

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 1.はじめに

 「前向きに生きろ」

 僕はこの言葉があまり好きではありません。そんな事を言われると「うるせーこっちゃぁそんな能天気じゃねぇんだよ」としか思えません。

 

僕はそういうタイプの人間でなのですが「前向きに生きる事」はやはりとりあえず生きていくためにはやはり重要な姿勢でもある、という事実は否定できないとも思います。

 

モチベーションの高さが無ければ「生産的な行動」が生まれないのも確かです。私なりに発達障害と「建設的に生きる事」について考え、ブログにて僭越ながら書かせていただきました。

 

2.消耗と憎しみ

 

 発達障害と診断をされてから2か月近くが経ちました。相変わらず日常で自分に許せない瞬間は数多い。最近だと、預金通帳をなくしたとき、心にもないことを言われた時はイライラしてものをブン投げたりしてしまいました。酷いものです……。

 

 こんなにもイライラしている原因は何だろう?とふと疑問に思っていたので地元の銭湯に浸かりながら「俺はなんでこんなにイライラするんだろうなぁ」と思いを馳せていました。そうして、とりあえずの結論に至りました。

 

 心の中に溜まりきった未処理の憎しみが多すぎるのではないか、というのがその結論でした。もしかしたら同じような人、いるのかもしれません。

 

 周りから自分を馬鹿にされた時、理不尽な事を経験した時など色んな場面でモヤモヤとした憎しみを感じることはあるのではないか? と思います。

 

 自分にだけやたらと強く当たる上司や、小馬鹿にしてくる同僚・家族等、そうした人たちに接するのは嫌ですが、私たちは表面上は体裁を作る必要があるので、頑張ってそれ相応の非難を浴びない態度を作ります。

 

だけど、モヤっとした憎しみはやはり存在します。「なんで自分がこんな思いをしなくてはならないのか」という不快で屈辱的な感情を心の奥に封じ込めながら日々を過ごすことになるのですが、こうした感情は自分の精神の中に確実に蓄積されるのだと思います。そして、時間とともに熟成され、もっと芳醇な不快さを醸し出します。

 

 「なんで自分がこんな思いをしなくてはならないのか」そんな事を感じる経験があまりにも多すぎると、ストレス耐性はやはり落ちてくると思います。我慢我慢の連続になってきて、消耗している状態になってきます。

 

定型発達の人でもこうした事で苦しむのだから、発達障害者等なんらかのハンデを負っているはなおさらこうした状態に陥りやすいのだろうと思います。特性上出来ないことを目の当たりにし、「なんでできないのか」「甘えるな」そういう言葉を受け続けると、て自責と他者に対する敵意は蓄積されます。

 

 そうした経緯を辿れば、ちょっとした事でイライラしやすくなる事はごく自然なことのように思います。発達障害の影響で怒られ過ぎて「なんでここまで怒られるのか」とか「お前らになんか発達障害の苦しさが分からないくせに」という思考が強化されてしまいます。そうなると余計に執着してしまって憎らしくなります。

 

3.前向きに生きる事の難しさ

 

 そんな時に「前向きに生きろ」と言われて我々は素直に拍手を送れるほど強くはなれないのでは、というふうに思うのです。我慢に我慢を重ね、消耗しきった時に言われるこの言葉は結構なキツイ言葉であると思います。

 

言った人からすれば「前向きに生きろ」と励ましの言葉であると思うのですが、受け取った側からすれば頑張っているのにこんな事を何故言われなければならないのかと思うのではないかと思います。極端な場合だと「もっと苦しめ、もっと頑張れ」という絶望の一言として解釈される可能性もあります。

 

 頑張って頑張って、消耗した後だというのに、そんな時に能天気に上記の言葉を投げかけられると結構ゲンナリするもんだと思うのです。

 

4.自分なりの前向きに生きる

 

とは、いうものの前向きに生きないと憎しみに囚われるだけでもきついだけである、と思うので、とりあえずある程度はそうした姿勢を身につけないといけないとは思います。

 

今の自分は不幸を覚悟して、その中で幸せを考えていく事が理想だと考えています。

そのためにも......

・段から感じる不快な感情を蓋をせず意識化して、心の中で解決する(我慢せずにイライラした時は許せる限りどこかで感情を出す。心理的に解決をする。たとえば、ノートに書き殴るとか)

・辛い気持ちをエネルギーとして毎日を過ごす(悔しい気持ちを出来るだけ、生産的活動に繋げる)

・不幸にしかなれないとある程度割り切る。(不幸が人間の前提だと意識する。)

・今の良いことが起きるための一里塚と考える。(長期的枠組みで物事を考える。)

 

という事を意識したりを日常で頑張っているつもりです。が!!

立派に書いては見たものの全然できません。ムズイです!

なるべく、こうした意識を定着させたいのでこうしてブログとして書いてみたりしてます。

 

前向きに生きることは心理的に辛いのですが、強くなれる良薬のようなものなのかな、とも思います。なるべく、多くの人の「生き辛さ」を少しでも和らげることを目標に、悔しい経験を活かしながらこのブログは書かせてもらっていて、今後もこうした活動を日常の合間でやっていきたいなぁと思います。前向きになるための意識付けとして書かせていただきました。

 

なんだか乱文ですが、前向きに生きる事の難しさ、について記述させていただきました!

読んで下さった方、ありがとうございました。